描きながら、「風景が綺麗だから描こう」
と思っているわけではないと、改めて気づきます。
自分が何を考えているのか
何を見ているのか
知りたいのだと、思います。
朝、スケッチした絵に、夕方 彩色しました。
小鳥がさえずる中、ペンで描いている時は、描く理由を
「知りたいのだ」 と思いました。
康耀堂美術館のエントランスのスケッチでは
この建築がどうなっているのかを
建築家が意図したのはどんなことなのかを、
「緑の朝」(作:髙山辰雄)という作品のことを
個人コレクションがはじまりの、この美術館は、
コレクターが建物をつくろうとした時、何を望んだのかを、
描きながら、「知りたい」 と思います。
どうなっているのか、どうしてなのか、想像します。
風景も、どうなっているのか知りたいと思っていることが多いです。
植物がどうなっているのか
光がどうなっているのか
何故なのか
何度描いても飽きません。
わからないことが多く、
答えがないことも多く、
答えが変わることもありそうです。
そして、物や場所への好奇心と別に
「自分自身を知りたいのだ」
と、思うこともあります。
何かを描いているのだけれど、物や風景を描いているのではなくて
自分を知るために描いているような気がします。
そんな時は、描く行為が大切で
描く対象も
描けた絵も
どちらでもいいような気さえしてきます。
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